大阪桐蔭吹奏楽部の顧問の年齢や大学は?梅田隆二先生は72歳で大阪音大卒

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2024年8月7日、第106回全国高等学校野球選手大会が開幕。
甲子園で毎年話題の大阪桐蔭吹奏楽部ですが、率いるのはカリスマと呼ばれる梅田隆司顧問です。
創部から2年で吹奏楽部を全国大会出場に導いた梅田隆司さん、いったいどんな人物なのでしょうか。

今回は、梅田隆司さんについて、学歴や経歴を詳しくお伝えしていきます。

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目次

梅田隆司Wikiプロフィール|大阪桐蔭吹奏楽部を全国大会常連校へ

画像引用元:https://ayatra.jp/

梅田隆司さんのプロフィール

・生年月日:1952年2月16日 (年齢 72歳)
・出身地:大阪府大阪市
・学歴:大阪音楽大学声楽学科
・経歴:1978年~ 大阪市内公立中学校 音楽教師
    2006年~ 大阪桐蔭吹奏楽部 顧問

梅田隆司さんは大阪音楽大学声楽学科を27歳で卒業され夢だった音楽教師の道へ。
大阪市立港中学校、大阪市立生野中学校、大阪市立城陽中学校など28年間大阪市内公立中学校でで教鞭を取り、吹奏楽部の指導に当たられていました。

そして、大阪桐蔭高等学校より「野球部の応援のための吹奏楽部」総監督として声が掛かり、2006年より大阪桐蔭吹奏楽部の顧問を務められています。

1988年に創部した大阪桐蔭野球部には、当時元中日ドラゴンズで活躍された今中伸二さんが在籍されていました。
1991年には夏の甲子園に初出場初優勝し、その後も常連校として有名ですよね。

そんな野球部の応援のために創部された吹奏楽部ですが、梅田隆司さんが顧問となられた翌年より、野球部も驚く好成績を重ねられます。

梅田隆司さんは、もともと中学校勤務時代にも全日本吹奏楽コンクール出場に導いた実力の持ち主。
そのため、大阪桐蔭吹奏楽部の顧問を務めることが発表された2006年春には、「梅田先生のもとで吹奏楽がやりたい」と60人以上の中学生が大阪桐蔭へ進学、吹奏楽部へ入部したそうです。

翌年の2007年には全日本吹奏楽コンクール全国大会に初出場し、銀賞を受賞。
創部から2年での全国大会出場は歴史上最速記録となっています。

大阪桐蔭吹奏楽部の主な活動歴

・2008年 全日本マーチングコンテスト全国大会初出場(以後、同コンテストに通算5回出場し、「金賞」4回受賞)
・2009年 全日本吹奏楽コンクールにて全体1位の金賞受賞
・2012年 オーストリア「ウィーン国立歌劇場」公演を敢行。
     第15回ミッド・ヨーロッパ国際青少年吹奏楽祭に初出場 全部門「総合グランプリ」受賞
・2015年 米カーネギーホールにおいてコンサートを実施
・2017年 ウィーン国際青少年音楽祭吹奏楽部門コンクールにて第1位を受賞

コロナ渦で活動が制限されたときには梅田隆司さんの指導のもと、YouTubeで活動。
メディアへの露出も増え、2021年にはYOSOBIの配信ライブにも参加されています。

この柔軟性とフットワークの軽さが大阪桐蔭吹奏楽部を全国大会常連校い育てた梅田隆司さんの魅力かもしれませんね。

梅田先生の出身大学は?大阪音楽大学音楽学科声楽専攻

梅田隆司さんは大阪音楽大学声楽部を27歳で卒業されています。
偏差値は44、関西圏の音楽大学では中堅どころです。(2024年度)

音楽大学の学費は1年で平均150~200万、一般的な学科の4倍といわれています。
大阪音楽大学も年間200万でした。
景気がよかったとはいえ、四年制の音大の学費をすべて稼いでから入学されたというのはすごいことですよね。

中学時代からトランペットにキーボードにピアノと音楽といえば演奏だった梅田隆司さんですが、音楽教師を目指すにあたり声楽も大事だと思われたそうです。

大阪桐蔭吹奏楽部の演奏会はミュージカル要素がかなり多いですが、梅田隆司さんの就任当初の目標が「歌う吹奏楽部」でした。
楽器も演奏できて、指揮ができて、歌える総監督、まさにカリスマですね。

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梅田隆司の波乱万丈な経歴!年齢72歳北新地のカリスマ音楽家

画像引用元:日本経済新聞

今でこそメディアへの露出も増え、名実ともに有名になられた梅田隆司さんですが、波乱万丈な半生を過ごされていました。

中学時代

子どもの頃から野球が好きで小学校時代は週末になると地元の公園でお父さんや弟さんと少年野球をしていた梅田隆司さん。
中学校でももちろん野球部に入部しますが、部員は100人。小柄だったため限界を感じて応援する側の吹奏楽部に転向されています。

そこで楽器の演奏する面白さにはまっていき、音楽好きだったお母さんが買ってくれた中古のトランペットを毎日練習していたそうです。
ただ挫折した野球への憧れは中学校時代からずっとあったと後に語られています

高校時代

弟妹がいる3人兄弟の長男であり、経済的に理由で高校は扇町第二商業高校(定時制)へ進学。
ヤクルトの配達や八百屋などで朝5時から働き、夜間に学校。週末は吹奏楽部やバンド活動というハードな生活で体を壊し留年。4年掛けて高校を卒業されています。

梅田隆司さんの高校時代はグループサウンズの全盛期。吹奏楽部ではトランペットでしたが、バンドではキーボードを担当。
バイトで貯めたお金で電子オルガンを購入し、バンドレッスンの傍ら、同じ先生からピアノの個人レッスンを受けていました。

とにかく音楽とバイトに明け暮れた高校時代ですが、なんと生徒会活動までされていました。
生徒会活動時に度々人生相談に乗っていただいた定時制高校の先生の人情味溢れる人柄に憧れ、教職を志すようになったそうです。

高校卒業後

高校時代に学んだピアノの腕を活かして、友人の誘いで北新地のバーで働くことに。
場末のバーからスタートして、毎晩演奏することで腕を磨き、アーティストも来るような高級クラブへ。

歌謡曲やスタンダードジャズ、ポップス系など、様々なジャンルの曲をリクエストに合わせて演奏するといったスタイルで北新地では有名な音楽家になられます。

ただ、ご本人の夢は音楽家ではなく音楽教師。
稼いだお金をすべて貯金し、24歳の春に晴れて大学進学をされました。

大阪桐蔭吹奏楽部の演奏会では必ず「リクエストコーナー」があり、観客のリクエストに応えて演奏されるそうですが、梅田隆司さんご自身の経験から部員たちの経験になると思われているからではないでしょうか。

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まとめ|大阪桐蔭吹奏楽部の顧問の年齢や大学は?梅田隆二先生は72歳で大阪音大卒

今回は、大阪桐蔭吹奏楽部の総監督梅田隆司さんについて、お伝えしました。

大阪桐蔭吹奏楽部を全国大会常連校に育て上げた梅田隆司さんは、とても魅力的な方でした。
これからの活躍も楽しみです。

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