日本の演劇界をリードした劇作家唐十郎さんが5月4日死去されました。
84歳でした。
劇作家、演出家、俳優、そして小説家と多才な顔をもたれていた唐十郎さん。
そこで、唐十郎さんの死因や、病歴について振り返ってみました。
唐十郎プロフィール|紅(赤)テントに人生を捧げた名優

2024年5月4日、唐十郎(からじゅうろう)さんが死去されました。
5日からは劇団唐組が唐十郎さんにとって大切な場所で新宿・花園神社で唐十郎代表作である「泥人魚」の初日を迎えています。
唐十郎さんプロフィール
・本名:大靏 義英(おおつる よしひで)
・生年月日:1940年2月11日
・没年月日:2024年5月4日(享年84歳)
・出生地:東京都台東区
・学歴:明治大学文学部演劇学科卒業
・職業:劇作家・作家・演出家・俳優
唐十郎さんは東京下町で育ち、明治大学卒業後の1963年に劇団「シチュエーションの会」、後の「状況劇場」を結成しました。
東京・新宿の花園神社などに移動式の「紅テント」を仮設し、のちのアングラ演劇と呼ばれる小劇場の演劇が熱狂的に支持されました。
ただ、「公序良俗に反する」として地元商店連合会などから排斥運動が起こり、1968年6月以降の神社境内の使用禁止が通告。
1968年6月29日、「さらば花園!」と題するビラをまき、状況劇場は花園神社を去っています。
翌年には東京都の中止命令を無視し、新宿西口公園にゲリラ的に紅テントを建て、『腰巻お仙・振袖火事の巻』公演を決行。
200名の機動隊に紅テントが包囲されながらも最後まで上演を行った。上演後には唐十郎さん、のちに妻となる李麗仙さんら3名が「都市公園法」違反で現行犯逮捕されました。
1983年には「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞しています。
2003年に代表作となる長崎県の諫早湾の干拓問題を題材にした「泥人魚」を発表し、読売文学賞戯曲・シナリオ賞、鶴屋南北戯曲賞などを受賞しています。
唐十郎さんご家族
元妻:李麗仙 女優、アングラの女王
長男:大鶴義丹 俳優
長女:大鶴美仁音 女優
次男:大鶴佐助 俳優
劇作家に作家、演出家、俳優と多才な唐十郎さん。
激動の人生ですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
唐十郎の死因は?突然死の理由は脳挫傷でリハビリは12年前から

逝去のお知らせ
劇団唐組公式ホームページ
劇団唐組主宰の唐十郎(本名:大靏義英オオツルヨシヒデ 1940年2月11日生まれ)が5月4日21時01分に(右)急性硬膜下血腫で永眠致しました。
5月1日午前中に自宅で転倒し、中野区内病院に緊急搬送されました。
享年84才でした。
唐十郎さんの突然死となった急性硬膜下血腫とはどんな症状でしょうか。
急性硬膜下血腫とは?
強い頭部外傷により引き起こされるため、脳の損傷に伴い、受傷直後から意識障害がみられます。ただし、脳血管のみが傷つき、脳自体の損傷がない場合には、発症初期は意識障害がみられずに、徐々に意識障害が出現してくることがあるので注意が必要です。
~引用元:恩賜財団済生会
唐十郎さんは1日午前中に自宅で転倒し都内の病院に緊急搬送され、4日夜、急性硬膜下血腫で亡くなりました。
転倒時に脳挫傷になられたことが原因と思われます。
2012年にも自宅で転倒し、脳挫傷と外傷性脳内血腫で半年間入院されています。その後の後遺症からリハビリに専念され、公の場に姿を見せることも少なくなっていました。

ただ2019年には都内で行われる唐組公演を記念して座談会に出席し、出演者に支えられながらも元気に挨拶されるなど、リハビリは順調だったようです。
「座長の唐十郎です。このたびはこうやってもらい、随分照れるもんで」
長男で俳優の大鶴義丹さんがコメントを出されています。
私がまだ十代だったとき、いつも父は、三度の飯のように芝居をし続けたいと言っていました。最後まで芝居を愛して、芝居に愛された、最高に幸せな人生だったと思います。
通夜、葬儀は近親者のみで行う予定だということです。
唐十郎(からじゅうろう)死去寺山修二と同じ命日にSNSでも驚きの声
唐十郎さん死去
— JAPOPSPREMIUM (@Japopspremium) May 4, 2024
1968年の新宿は凄かった
アングラ小劇場運動とグループサウンズだ
特にアングラ演劇の寵児 唐十郎と寺山修司
花園神社の紅テント前の横尾忠則ポスターが俺を誘い腰巻お仙の命懸けの演劇に陶酔 後のベンガルの虎どころではなかった
あの興奮感動を決して忘れません
R.I.P. 合掌 pic.twitter.com/9y4uRWbze7
唐十郎死去。
— サブテレニアン♢赤井康弘 (@a_subterranean) May 4, 2024
僕は一観客に過ぎなかったけれど、僕の演劇史は唐十郎と共に始まったと言っても過言ではない。
唐の演劇論が僕の演劇論に影響を及ぼしているのは間違いない。
自宅には、その昔街頭に貼られていたのを盗んできた「匂ひガラス』のポスターが貼ってある。
僕にとっての演劇前史が終わった。
唐十郎さん、死去。
— 小西智 (@t524) May 4, 2024
初めて観たのが1993年に京都で上演された「桃太郎の母」でした。
一番、感受性が豊かだった年齢の時に、大量に浴びた唐十郎の言葉と演劇が、今の自分の核になっていると思います。
同じ時代に生きられた奇跡に感謝します。 pic.twitter.com/jBIBFQuzyF
唐さん。亡くなったか。寺山と同じ命日なんて。
— さんぺいりゅうた (@enngeki0313) May 4, 2024
久保井さんとの共同だったけど、生で目撃できてよかった。テント芝居のあの熱狂を、時代を動かそうとする言葉を、聞けて、見れてよかった。
きっと、このあとは各地で唐十郎の言葉を耳にするんだろうな。僕らもいま、劇場にいて良かった。
嘘みたいな現実、寺山修司と唐十郎の命日が同じなんて…なんのいたずらだろう。ご冥福を…向こうでも仲良く喧嘩するだろうか。
— 小谷由果 (@cotaniyuca) May 5, 2024
1983年に亡くなられた劇作家寺山修二さんと同じ命日であることに驚かれる方、運命と感じられる方が多いですね。
まとめ|唐十郎の死因は急性硬膜下血腫!突然死は12年前の脳挫傷が原因?
今回は、急逝された唐十郎さんについて死因や病歴についてご紹介しました。
昭和を代表する俳優で、アングラ小劇場運動を通して日本の演劇界を変革をもたらした唐十郎さん。
ご冥福をお祈り申し上げます。



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